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安龍福は朝鮮・粛宗時代の釜山東莱出身者で、1693年と1696年の2度にわたる渡日活動により、鬱陵島と独島が朝鮮の領土であることを日本の幕府が公式に認めるにあたって決定的な役割を果たした。彼は若い頃から倭寇が出没する海を守るために水軍に入り、能櫓軍として服務した。また、釜山の倭館にしばしば出入りし、日本語が堪能だったという。


安龍福は1693年(粛宗19)春、東莱の漁民40余人と共に漁をするため鬱陵島に入ったが、そこで魚を獲っていた日本の漁民と喧嘩になった。朝鮮政府は15世紀初め、倭寇の侵奪から島民を保護するため、鬱陵島住民を陸地に連れてくる刷還政策を実施していた。鬱陵島に人が住んでいない隙に乗じて、日本の漁師らが17世紀初めから鬱陵島に出入りして魚を獲っていたのである。 日本人と衝突した安龍福は朴於屯と共に捕えられ日本に連行された。この時、伯耆州(現在の鳥取県)太守と江戸幕府に、鬱陵島と独島が朝鮮の領土であると主張し、幕府からこれを確認する書契を受け取った。しかし、釜山に帰ってくる途中、長崎で対馬島主にこの書契を奪われた。17世紀初めから鬱陵島を狙っていた対馬島主は、安龍福を送還すると同時に朝鮮政府に書契を送り、朝鮮の漁民が日本の領土である鬱陵島で魚を獲ることを禁止してほしいと迫った。 1696年春、安龍福は再び10余人の人々と鬱陵島へ行き、ちょうど漁をしていた日本漁船を発見し、日本まで追撃して鬱陵島と独島を侵犯したことに対して抗議し、2島が朝鮮の領土であることをより明確にした。しかし、帰国後、国の許可なしに国際問題を起こしたという理由で朝廷に護送されて死刑まで議論されたが、領議政柳尚運と前領議政南九萬等のとりなしにより減刑され、流罪となった。


しかし、安龍福の活動をきっかけに、日本の江戸幕府は鬱陵島への渡海禁止命令を下し、日本の漁民は鬱陵島と独島で漁をすることができなくなった。17世紀末、鬱陵島と独島が朝鮮の領土であることを認めさせた安龍福の活躍は、1870年と1877年に日本の明治政府に鬱陵島と独島が日本とは関係のない朝鮮の領土であると再確認させる重要な根拠を提供した。