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異斯夫はまたの名を太宗(苔宗)とも言い、姓は金氏で奈勿王の4代目の孫である。新羅の眞興王時代の将軍であり、政治家である。512年に阿瑟羅州(現在の江陵)郡守であった時、于山国(現在の鬱陵島と独島)の征伐を計画した。しかし、于山国の国民は愚直で気性が荒く、威勢で降伏させるのは難しいと考えた。そこで、木の獅子をたくさん作って戦船に分けて積み、于山国の海岸に行って、「お前たちがもし降伏しなければ、この猛獣を放して踏みにじってやる」と嘘をついたところ、于山国の国民は震え上がってすぐに降伏したという。于山国は、現在の鬱陵島を中心に周辺の付属島嶼を勢力圏内に置いていた小国で、三国時代以前には独立して于山国という古代部族村落国家を形成し、半農半漁の生活をしていた。 于山国の領域を鬱陵島と独島とした「萬機要覧」の記録通り、于山国は鬱陵島本島だけでなく、目で見える圏内に位置する独島等、鬱陵島周辺の全ての小島嶼を含む。つまり、独島は鬱陵島の付属島嶼で、西暦512年(智証王13年)に鬱陵島が新羅に降伏したために新羅の領土となり、朝鮮半島の歴史と文化圏内に編入されることとなった。


于山国を服属させた異斯夫は、541年(眞興王2)、兵部の責任者であり当時は上大等•侍中を兼任することができた兵部令となり、562年まで実権を掌握して東西南北に新羅の支配圏を拡大するのに大きく貢献した。